出典:写真AC
政府が進める残業規制の議論が迷走を続けている。2016年10月に電通の新入社員の高橋まつりさんが過労自殺したことがきっかけに議論が白熱しているが、何とも不毛なやり取りを続けている印象だ。
現在は政府が提案した「月最大60時間、繁忙期は月最大100時間」という規制案をベースに、経団連が容認し、連合が反対している(本音はさておき)という状態だ。
アゴラでも城繁幸氏や駒崎弘樹氏を始め、様々な記事が投稿されている。
これに対する私の考えはこうだ。
「残業時間上限が何時間になろうが、どう働くかは自分次第である」
高橋まつりさんの過労自殺は、「残業上限70時間」を超えたため
残業上限100時間のニュースが流れたら、「残業上限100時間は過労死ライン(80時間)を超えているから、過労死が無くならない」という意見が多く見られたが、根本的なことを忘れているのでは。
それは、「高橋まつりさんは、電通の残業上限70時間のルールを大幅に超えて、サービス残業で過重労働していた」という事実だ。
例えば、労働基準法が改正されて残業上限時間が過労死ラインを大幅に下回る40時間とかに決まったとしても、サービス残業に苦しんでいる人達には何の関係も無い。労働力の不足を、正社員の残業で補わざるを得ない状況が変わらない以上、残業上限が何時間になったとしても過労死する人は減らないだろう。
では、どうすれば抜本的に労働時間を減らすことができるか?
それは、これまでに城さんを始め多くの方が散々指摘していることだが、改めて主張したい。
・ホワイトカラーエグゼプションを導入し、時間で無く成果に対して賃金を払うこと
・解雇規制を緩和して雇用を流動化し、労働力が不足したら人を増やしやすくすること
である。
仕事が多すぎたら、人を増やす以外に楽にはならない
高橋まつりさんが電通で過重労働に追い込まれたのは、電通がインターネットの広告業務で不正を働き、彼女が所属する部署がその後始末に追われていたからだ。また、関西電力で自殺した課長は、審査書類が何万ページにも渡ると言われている、高浜原子力発電所の運転再開のための原子力規制委員会の審査対応という激務に追われていた。過労死・過労自殺のニュースの背景には、個人ではどうしようもない、会社そのものが揺らぐような激務が発生している。
私もメーカー勤務時代に、会社の最新画像処理LSIの設計・検証というプロジェクトに参加していたときは、どう自分の仕事を効率良くしても残業時間は100時間に達していた。自分の仕事が終わっても、手伝わなければいけない他人の仕事が山のように残っているからだ。
私同様、超優秀な先輩であるSさんも同様に自分の仕事と、他人の手伝いで100時間残業していた。当時の36協定の上限は80時間であったので、自分で勤怠時間をごまかして申請していた。良くないこととはもちろんわかっている、だが、私たちが頑張らなければこの最新LSIは完成しない。そうなれば、マジで会社が傾いてもおかしくないから、社員の一員として何とかしなければいけない。誰に強制された訳でもない、自分で決めたことだ。
この状況を打開するために、プロジェクトリーダーは人を増やそうと努力していたが、なかなか人は集まらなかった。それは当然だった。
今の仕事より明らかにしんどい仕事を担当しても、時給で賃金を貰っている以上、給料は全く変わらないからだ。
もし、最新LSIの設計・検証の様に、会社の存亡にも関わる明らかに重要なプロジェクトを担当したら時給がグッと上がる制度だったら、もうちょっと人は集まったのではないだろうか。
ホワイトカラーエグゼプションは「残業定額働かせ放題」と揶揄される制度であるが、その本質は「仕事の内容に値札を貼る」ことである。
会社の存亡に関わるような重要な仕事と、過去製品をちょっと改良するだけの惰性でこなせる仕事のどちらを担当しても時給が同じであれば、よっぽど酔狂な人間で無い限り、重要な仕事には人は集まらない。重要な仕事に参加すれば給与が高くなる仕組みであれば、もっと大勢の人が参加を志願し、特定の担当者の過重労働は緩和されるだろう。
また、社内で人を集めることが難しければ、新しく人を雇えば良い。しかし、「一度雇ったら、60歳まで雇い続けなければいけない」現行の雇用制度では、一つのプロジェクトが繁忙期を迎えていたとしても、なかなか雇用には踏み切れない。結果として、人は増えず、過重労働が発生する。
過重労働を減らすためには、とにかく人を増やしやすくすることだ。そのためにホワイトカラーエグゼプションで社内から、解雇規制を緩和して社外から人を集めやすくする改革が不可欠だ。
一番大事なことは「自分で決める」
このように、社内・社外を含めて雇用を流動化することが、過重労働を減らすための最も有効な政策だ。過労死の原因を一方的に決めつけるのは良くないが、ニュースを見ている限りでは「責任感が強く、過労死するまで仕事を頑張ってしまう真面目な人」と感じる。こういう人を救うには、ある程度強制的に仕事を減らしてあげるマネジメントが不可欠だ。
しかし、残業規制の議論を見ていて違和感を感じることがある。それは「月100時間残業のような長時間労働は絶対悪」という意見である。
私は先ほど書いたように、他人の手伝いで100時間残業していた時期もあったが、誰かに強制されたわけでは無い。自分の意思で、他人の仕事を手伝うと決めたのだ。それは、この仕事を頑張ることで会社に貢献できると共に、半導体設計者としてスキルが大きく上達すると期待したためである。つまり、自分にメリットがあるから、自分の意志で100時間残業をしていたのである。
さらには私が手伝っていた人は8時くらいにさっさと帰っていたが、別に文句は無い。彼は早く帰りたいから私に手伝いを依頼し、私がOKしたからだ。
私は自分の意志で100時間残業を、彼は自分の意志でライフワークバランスを選択し、周りがどう言おうが自分の行動を貫いてた。これで何も問題無い。むしろ、私のような仕事ジャンキーではなく、彼の様に他人への手伝いを含めてしっかり仕事を調整してライフワークバランスを実現していた人物こそ褒めるべきだ。
私が懸念するのは、プレミアムフライデーもそうだが、「お上が帰れと言ったら帰る、残業100時間と言ったら100時間まで残業する」という受け身の姿勢だ。
私にとっては半導体設計は仕事と言うより趣味に近い、設計そのものが楽しいのだ。だから、100時間残業しても何ともない。家で暇をもてあそぶ方がよっぽど精神に悪い。
家で家族と過ごしたいという人は、仕事を早く切り上げて帰ればよい。文句を言われたら、「続きは明日やります」とだけ言えば良い。
LINE株式会社の田端氏がtwitterで呟いていた、「別に足枷を付けられた奴隷じゃないんだから、帰りたきゃいつだってて帰ればいいだろ」が全てだと思う。
こんな署名運動しなくたって、別に足枷を付けられた奴隷じゃないんだから、帰りたきゃいつだってて帰ればいいだろ。自分が帰れないのを他人のせいにするなよ。
政府が残業時間の上限を何時間に規制しようが、自分で自分の仕事をコントロールしようとしない限り、残業上限まで働かされるどころか、サービス残業を強制されるだけである。
現実には100時間残業しても苦にならない楽しい仕事も、残業60時間くらいまでなら大丈夫な仕事も、一日8時間もできないしんどい仕事も、様々に存在する。一番大事なことは、自分の意思で自由に仕事を選択し、自分の意思で自由に仕事の時間を決めることだ。
そして、その中には「仕事が楽しいから、100時間残業する自由」も含まれるべきだと思う。仕事をこれ以上しちゃいけませんなんてお上に決められるのは、自由を求めてきた近代の歴史に反することだと思う。
幸いなことに、今の私は個人事業主であるので、残業上限時間が何時間になろうが関係無い。この原稿を書いているときのように自分の意思で深夜まで働くのも、5時に帰るも、一日休みにするのも、全て自分で決める。それこそが、
「雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とは、そういうことだ」
by ロジャー・スミス
※この記事は、2017年03月02日にアゴラに投稿・掲載された記事(http://agora-web.jp/archives/2024695.html)を再掲したものになります。