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出典:新装版バキ 15 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)
作家・百田尚樹氏が出版した著書「日本国紀」(幻冬舎)を巡っての騒動が収まる気配を見せない。
歴史学者の呉座さんなどが「日本国紀」を痛烈に批判したところ、なぜかお仲間の歴史小説家を巻き込んで逆切れ。でも内容では完敗なので呉座さんを「行き過ぎた実証主義者」とよくわからんレッテル張りして悦に入っている有様だ。ここら辺の歴史小説家の間違いについては過去記事にも記載しているので読んで欲しい。
歴史学は科学か疑似科学か。その認識を決めるのは学者たちの自浄作用
しかし完全に論破されてもなお、歴史小説家は「我々こそ正しい」との姿勢を崩さない。しかし学問で論争を挑むのは不利と考えたのか、実力行使に出てきた。
作家の津原泰水さんが「日本国紀」をツイッターで批判したところ、幻冬舎は津原さんの文庫出版を盾にツイッターでの批判を止めるように圧力を掛け、従わないと本当に文庫出版を中止してしまった。その事を津原さんが暴露すると社長の見城徹氏までが出てきて「(津原の本は)実売1000部も行きませんでした」と非公表の数字を出してまで津原さんを貶めている。
無論、こんな言論弾圧が許されるはずもなく幻冬舎と見城徹氏は大バッシングに見舞われている。
この問題についてはまた機会を改めて書きたいが、そもそもここまでの問題になるのは「日本国紀」が売れているからだ。「日本国紀」の出版部数はこれまでに65万部を超えており、大ベストセラーになっている。
私もこういった本に傾倒していた時期が有ったので買った人を単純に責める気にはなれない。かのウィンストン・チャーチルが言ったとされる(※)言葉を借りれば、
20歳までに『ぼくのかんがえたしんじつのれきし』に傾倒しない者は情熱が足りない。
20歳を過ぎて『ぼくのかんがえたしんじつのれきし』に傾倒している者は知能が足りない。
20歳までに『ぼくのかんがえたしんじつのれきし』に傾倒しない者は情熱が足りない
「日本国紀」のような「教科書には書かれていない日本史の真実をここに記した」と謡った本は今に始まったものでは無い。私が大学生になった1999年ごろから山のようにあった。
有名どころでは井沢元彦氏の「逆説の日本史」、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」、西尾幹二氏の「国民の歴史」などがある。その小林よしのり氏と西尾幹二氏が参加した「新しい歴史教科書をつくる会」なんて動きもあったり、その会が出版した「教科書が教えない歴史」シリーズもベストセラーになった。
私は高校で日本史Bを選択し、センター試験も日本史で臨んだ。生まれてから大学受験に臨んだ1999年2月まではまさに教科書通りの日本史とマスコミが報道するニュースが正しいものと思って生きてきた。
元々本好きだったので1999年4月に大学に入学し、1人暮らしになってからは誰の目を気にすることなく暇を見つけては本屋に行き面白い本を探していた。そんな私が出会ったのが小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」である。
小林よしのり氏と言えば私も大好きだった「おぼっちゃまくん」の作者なので名前は知っていた。そんな人が書く社会派の著書と知り、興味本位で読んでみた。
これがまた、当時の私には雷鳴が轟いたかのようにハマってしまった。
当時の「ゴーマニズム宣言」が主に描いてたのはいわゆる自虐史観への反論である。日本は第二次世界大戦でアジアを占領し非道の限りを尽くした、だから二度と戦争を起こさないように軍隊を持つなんてもってのほかである。私もそうずっと教わってきたし、マスコミも8月になると必ず特集する。だから「それだけが正しい」と思っていた。
だから日本の植民地支配は合法で問題無いとか、アジアへの進出は欧米の卑劣な植民地支配からの解放であるとか、東京裁判は違法なリンチだとか、当時の私には新し過ぎて衝撃だった。
戦争と言えば図書館に置いてあった「はだしのゲン」のイメージだったので、ずっと戦前の日本は悪いだけと思っていた。1人の日本人として、日本の悪かったとされる事が実は理も有ったと言われると悪い気はしない。
そういう高揚感もあいまって「ゴーマニズム宣言」にハマりまくり、そしてその流れで「国民の歴史」とか「逆説の日本史」とか、「教科書に書いていない真実の歴史」を求めまくったのだ。
しかしこれは私だけの話では無い。同じ思いをした人が多いからこそ、実際にこれらの本がベストセラーになったのだ。ただ自覚できていなかったが、これらの本は知識を求めて読んでいたつもりでも実際に自分が求めていたのは「優越感」だった。
世間の人が知らない歴史の真実を僕だけは知っている。だから様々なニュース、政治家、選挙に対して「正しい知識を持っている僕だけにしかできない正しい判断をくだせる」と思っていた。大人がバカなのはずっと間違った知識で生きてきたからだ。若い僕だからこそ、そんな蒙昧とした今の大人とは違う優れた大人になれると思っていた。
18~20歳くらいってそんな風に「俺はバカな大人とは違う。皆が気付いてない世の中の真実を理解できる」って思うっちゃうんだよ。若いという事に過剰な優越感を持っちゃうんだよね。
あの手の歴史本はそんな心の隙に入り込んで来る、いわば占い本とかノストラダムスの大予言とかと同じものだったのだ。その当時は気付かなかったけど。
20歳を過ぎて『ぼくのかんがえたしんじつのれきし』に傾倒している者は知能が足りない
しかし私はそんな若い時の自分が誤っていたとは思わない。かの宇宙刑事いわく、若さとは振り向かない事である。
「若さ、若さってなんだ?振り向かないことさ。愛ってなんだ?躊躇わないことさ!ギャバン!あばよ涙、ギャバン!よろしく勇気~宇宙刑事~ギャ~バン! 」
ドラゴンボールZも「頭カラッポの方が~夢詰め込める~」って言ってるし、多少自信過剰な方が若者らしいと思う。「大人の言う通りです。従います」と縮こまるより、「 そんな大人、修正してやる!」と自分に限界を定めず元気良く向かっていく方が成長できる。
そしてそんな生意気な若者を温かく見守っていくのが大人の役割だろう。大人は間違ったと自分で気づいた時にただそっと手を差し伸べれば良いのだ。
という訳で「ゴーマニズム宣言」「逆説の日本史」にドはまりして大人を見下していた私であったが、徐々に卒業していくことになる。
一番大きかったのは大学の研究室での体験だろう。
厳格な手順を踏みながら実験データに基づき新しい科学を追求していく、その難しさと達成感。なにより圧倒的な天才が自分よりもはるかに努力してなお届かないと悩んでいる現実。自分など天才でも何でもない、普通の人間と気付かされた。
そしてそこで学んだ「実証」のやり方が「ゴーマニズム宣言」「逆説の日本史」に「?」を突き付けていく。
「逆説の日本史」は「こいつ、いつも資料無しで似たような推理言ってるだけだな」と漠然と思うようになった。もっともこれで興味を失い、具体的に何が違うのかを知ったのは最近の「日本国紀」騒動の事である。
「ゴーマニズム宣言」は2001年のアメリカ同時多発テロ事件あたりからである。そこからのイラク戦争や日本の派兵など、小林よしのり氏の言いたい事も分かるがあまりにも決めつけが酷いと思った。その主張自体は聞けても、過去の発言と矛盾が多々生じるようになった。
「あれ?こいつもしかして、自分の中の『反米』が第一で全てをそれ基準に言ってるだけじゃね?」
これは私が学んだ実証とはまるで違う、ただの妄想である。当時はまだ言ってる事に理解を示せる部分も有ったが、「ミスの混じった論文」が全却下であるのと同じで素直に妄信できなくなった。
こうやって私はいわゆる歴史本に出会い、傾倒し、距離を置くようになった。結局、あれらの本は本当に歴史でも何でも無く、『ぼくのかんがえたしんじつのれきし』でしかなかったのだ。
「ゴー宣」「逆説の日本史」「日本国紀」を読むなと言っているのではない。それが真実であり全てと傾倒するのがダメ
ただ、私はあれらの本に出会った事を後悔していない。
後になって内容に疑問を感じる事はあるが、確かに教科書やマスコミの言う事だけが正しいと思っていた私に新しいモノの見方を教えてくれた。そして大人とは、社会とは、これからの自分はどうやって行けばよいのかを勉強できたきっかけになった。
世の中に絶対に正しい事は無く、また見方によってどうとでも姿を変える。多角的にモノを見なくてはいけない。
世の中では同じ事に対しても様々な考えを持つ人がいるが、決してどっちが優れている劣っているという事ではない。
このように、従来の見方と正反対の歴史本を読んだ事で私の視野は広がった。その事は今でも財産だと思っている。
「日本国紀」も同じである。日本は言論の自由が認められた国なのでどんな本を書いても構わない。歴史学者もそれは否定していない。
だが「日本通史の決定版!」と銘打ち、あたかも真実の歴史が書かれているかのようにアピールしたのがまずかった。「日本国紀」の中身はWikipediaのコピペ、ネットの受け売りなどなど、とても学問のレベルじゃなかった。だから学問として否定しただけである。
なので誰も「日本国紀」「ゴーマニズム宣言」「逆説の日本史」を読むなと言っているのではない。時間が有れば読んでいくべきだと思う。ただもちろん、色んな本の中の一冊としてである。
様々な本を読むことで、自分の目と耳で体験する以上の先人の知恵を吸収する事ができる。これはまさに人類の叡智だ。だが人間は多種多様であり、1つの出来事にも様々なモノの見方がある。
その多様性・多面性を学び、その上で自分がどの道を選ぶか選択する事こそ、真に自分という存在と向き合うという事だ。
「日本国紀」「ゴーマニズム宣言」「逆説の日本史」を読むのだダメなのではなく、それが真実であり自分にとっての全てを思ってしまうのがダメなのだ。それは自分の世界を狭める行為であり、人類の叡智を否定する行為だ。
ハマるのは良いけど、20歳までにしておきなさい。
※ 「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。」
とはあの第2次世界大戦時のイギリス首相として有名なウィンストン・チャーチルが言ったとされる言葉である。「左翼」以外にも「共産主義」に置き換えても使われたりしており、人間の青臭い理想と現実を端的に表した名言だ。
だが、実際にチャーチルが言ったとされる言葉は以下のものだ。
“If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain.” That’s what former British Prime Minister Winston Churchill once said, anyway. He was right.
20才までに自由主義者でなければ、情熱が足りない。40才までに保守主義者出なければ、知能が足りない。
このように「左翼」なんて言葉は出て来ない。誰かは不明だが、後世の人が改変したものがそのまま伝わってしまっているのだ。
それに似たような言葉は過去にも多くの方が発言しており、チャーチルが生み出したオリジナルの名言ではないのだ。無論、だからといってチャーチルの業績や人格が否定される訳ではない。
参照:新装版バキ 15 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)、バキ道 2巻 (少年チャンピオン・コミックス)、日本国紀、「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史、65万部発行「日本国紀」とは? 盗用疑惑に異例の修正、百田尚樹さんの「日本国紀」批判で出版中止 作家が幻冬舎を批判、幻冬舎・見城社長が出版中止作家の「部数さらし」のち謝罪 同業者から集中砲火「完全に一線越えてる」、ウィンストン・チャーチル – Wikipedia