歴史

歴史学は科学か疑似科学か。その認識を決めるのは学者たちの自浄作用

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出典:中央公論編集部公式twitter

私は大阪大学工学部・大学院工学研究科を卒業し、それからも電気エンジニアとして生きている。根っからの自然科学者である。でも実は歴史、特に日本史が大好きだ。

父親が高校の日本史教師だった影響で、子どもの頃から歴史書を愛読。中学校では歴史のテストでトップを取り続け、高校でも日本史Bを選択。理系を選択したが日本史だけはずっと勉強していた。もっともその最終的な成果は1999年のセンター試験で92点を取ったというだけだが、自分では満足している。

今は専門家の方には及びもしないが、在野の歴史ファンとして歴史学には頑張って欲しい。だからこそ、今週の週刊ポストの井沢元彦氏と本郷和人氏の対談には危機感を感じた。せめて歴史学の正しい理解への一助になればと2つの記事を書いた。

歴史研究と歴史小説の違いはSTAP細胞実験で例えるとわかりやすい

なぜ在野の歴史研究家には疑似科学が蔓延しているのか?

しかし、やはり現役の東大教授である本郷氏がトンデモ方面に走った影響は大きい。これまで本の売り上げなど関係無い指標でデカい顔をしてきた自称歴史研究家は「東大教授のお墨付きが出た」と(散々これまで批判して来たのに)東大の威光を借りてさらに増長しそうだ。

もちろん心ある歴史研究家が黙っている訳が無い。まるで見計らったかのようなタイミングで、5月10日発売の中央公論6月号に呉座さんの記事が掲載された。

中央公論6月号 ●歴史学の研究成果の重みに敬意を 俗流歴史本と対峙する(呉座勇一)

やはり改めて思う。その学問が疑似科学ではなく科学と認識されるには、所属する学者たちが絶え間ない自浄作用の努力をするしかないのだ。

社会学と憲法学。これを科学と認識している人はいない

まず私が一番酷い疑似科学と思うのは社会学だ。

「自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それが悪いことだと思ったことはありません」

と東京大学名誉教授という社会学を代表する立場である上野千鶴子氏がこんな事を言ってしまう有様だ。社会学を学問として認める人はもはや誰いないのではないか。

上野氏がその言葉を発したのは、やはり社会学者としてメディアに引っ張りだこの古市憲寿氏との共著本である。その古市氏も博士号を持っていないどころか学術論文の1つも出した事が無い。さらには社会学部を卒業しただけの北条かや氏も「社会学者」と名乗って本を出している。

もはや社会学者は「ジャーナリスト」「ライター」と同じで名乗ったら誰でもなれてしまう。そこには何の権威も価値も無い。

「一度でいいから見てみたい、まともな社会学者がいるところ」

そして次に酷いのが憲法学だ。

憲法学は法学の一部であるので、条文や判例という資料を基に憲法の解釈を認識体形化する学問のはずだ。だから学会として憲法の最新の解釈が常にアップデートされ、共有されていなければならない。

だが、現実は各々の憲法学者が自分の政治信条に則って好きな解釈を言いまくっている。歴史学で歴史小説家が適当なホラを吹きまくっているのと何ら変わりない。

最近でも集団的自衛権の行使を認めた安保法案改定の際に、よくもここまでというくらい憲法学者はバラバラであった。社会学者と違って学者としての経験は踏んでいるはずなのだが、再現性を保証して一般の人の役に立ってもらうという視点が決定的に抜けている。

何より、憲法学が法学から独立しているなんて日本だけだ。それだけでも学問では無く政治的な事情で動いているのが明白だ。

自浄作用が無い人文科学、社会科学は定義に関わらず疑似科学と認識される

学問の定義だけで言えば、社会学も憲法学も立派な科学である。

しかし世の中の人々がそう認識してくれるかどうかは別問題である。前回の記事で科学に最も重要な要素は「再現性」と書いた。

再現性が保証される事で、一般の人々も安心してその学問の恩恵に預かる事が出来るのだ。そして再現性を保証するための学問のプロセスが、「資料(実験データ)に基づいた仮説の検証プロセス」である。資料やデータを無視して個人的な推理・推測をばらまくのは科学ではない、疑似科学である。

しかし世の中には社会学や憲法学のように、大学や研究機関に属しながらも適当な推理・推測をばらまいたり、在野の研究家が適当な推理・推測を吹聴しても放置したり、疑似科学と化した学問が後を絶たない。

無論、どんな学問にだって疑似科学者はいる。自然科学にオボちゃんがいたように。問題は自浄作用が発揮されるかどうかなのだ。

自然科学は自浄作用を発揮してオボちゃんを速やかに追放した。しかし、社会学と憲法学は疑似科学者たちを追放するどころか大学の重鎮として迎え、メディアでも引っ張りだこである。まともな学者もいるのかもしれないが、関わるのは損とばかりに無視を決め込んでいる。

そんな自浄作用が無い学問はまともな研究者も疑似科学の仲間と見られて、全体として疑似科学と認識される。そしてそのまま落ちぶれていく。

まともな学者であると自負しているならば、疑似科学を吹聴している偽物を排除するべく努力しなければならない。そうしないと、結局は自分の立場も危うくなるのだ。

正直に言って、歴史学も同じだと思っていた。その認識を覆したのが呉座さん達の努力

疑似科学は再現性を追及しないので、一般の人々には全く役に立たない。社会学も憲法学もいずれ志望する学生も減り、滅びの道を歩んでいくだろう。

そして私は歴史学もそんな疑似科学の仲間だと思っていた。

井沢元彦氏の「逆説の日本史」や百田尚樹氏の「日本国紀」という歴史小説が「真実の歴史」を称してベストセラーになり、学者たちもそれを漫然として受け止めていると思っていた。

だからこそ、日本国紀の騒動に立ち上がった呉座さん達の努力には喜びを覚えて仕方なかった。

もちろん呉座さんを初めまともな歴史研究家はずっと前から自称歴史研究家を批判していたはずだ。しかしその声が一般の人々にまで届いていたとは思わない。どうしてもベストセラー作家であり一般の人々に人気がある井沢氏や百田氏の意見の方が世の中に伝わりやすい。

しかし呉座さんは名著「応仁の乱」で自らがベストセラー作家になり、強い発言力を持たれた。それでもなおメディアに媚びる事なく、疑似科学との対決姿勢を緩める事は無かった。

人間、これがなかなかできない。

信念を持って発言していたつもりでも「アゴラを追放されたく無ければ音喜多氏への批判を止めろ」とか「出世したければ、身内に対してあまり批判的な言動をするな」なんて言われてしまったら、ほとんどの人が発言にブレーキを掛けてしまう。

だが、私はブレーキを掛けてはいけないと強く言いたい。

別に信念に殉じろと言っているのではない。まともな人が発言にブレーキを掛けると、結局得するのは疑似科学のニセモノである。そうやってニセモノが跋扈すると、結局自分が立っている学問そのものが衰退する。

なのでニセモノが現れた時点で、発言してもしなくても自分は不利になるのだ。

どうせ不利になるのが同じなら、自分の本心に正直に生きた方が人生プラスだと思うのだ。

今はネットで誰でも発信ができる時代。恐れずに疑似科学に立ち向かっていこう

しかし、昔だったらニセモノ批判のデメリットの方が大きかったのかもしれない。

でも今はネットがある。

どんな人でもネットを通じて、世界中の仲間たちに自分の発言を届けることが出来る。

疑似科学を正しく批判すれば、その声は必ず仲間たちに届く。そしてそれに勇気づけられた人達がさらに疑似科学を批判し、どんどんニセモノには住み辛い世の中になっていく。

あのSTAP細胞騒動も、理研が問題視する前にネットで論文のコピペ・盗用(わざわざkっ回図書館まで行って博士論文のコピーを取ってまで)が解析されていた。それがスピード解決の大きな要因になった。

もちろんネットは万能では無い。疑似科学のニセモノもネットを悪用して自説を振りまいているので、もしかしたらトータルでは何も変わってないのかもしれない。

でも月並みな言い方だが、間違った情報はいつか駆逐され、正しい情報が必ず最後まで残る。

せっかくネットがある時代に生まれたのだ。ネットを活用しながら勇気を持って疑似科学に立ち向かって行こう。

参照:中央公論 6月号科学 – Wikipedia疑似科学 – Wikipedia自然科学 – Wikipedia人文科学 – Wikipedia社会科学 – Wikipedia日本国紀「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史



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author : 宮寺達也



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