歴史

歴史研究と歴史小説の違いはSTAP細胞実験で例えるとわかりやすい

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出典:『時間・真理・歴史』 フランシスコ・デ・ゴヤ作

最近になってあの「応仁の乱」の著者で知られる呉座勇一さん(実は同い年なのだ)と相互フォローになったので、ちょくちょく呉座さんのタイムラインを拝見させてもらっている。

あの百田尚樹氏が書かれた大ベストセラー歴史書「日本国紀」への批判に端を発した、歴史研究家を自称する歴史小説家とのバトルは依然として続いている。今日はバトル相手の井沢元彦氏と、本郷和人氏の週刊ポストでの対談が話題になっている。

井沢元彦×本郷和人 歴史研究家よ、行き過ぎた実証主義にとらわれるな!

この対談では歴史研究者である本郷和人氏が「歴史小説家の空想も大事な歴史研究だ」的な発言をしており、歴史小説家の妄想にお墨付きを与えているだ。専門外の学問とはいえ同じ科学者仲間として頭が痛くなる。

まあ呉座さんの主張がこんな対談でどうこうなるなんて無いんだけど、世間の歴史研究に対する理解の無さは絶望的なレベルだ。とても深く同情してしまう。科学者仲間として何とかこの理不尽を世間に伝えられないかと思っていた時、導かれたかのようなタイミングで懐かしい顔に出会った。

「STAP細胞は、ありまぁす」 平成最強の自分好き・小保方晴子さんに見る“味方づくり”の才能

そうだよ、自然科学にもいたじゃないか。小保方晴子女史が。稀代の妄想ストーリーテラーが。

自称・歴史研究者の歴史小説家たちと呉座さん。どっちもお互いを批判してるだけに見えて、正直どっちが正しいかはわからないという人は多いだろう。

そんな人たちのために、歴史研究と歴史小説の違いをあのSTAP細胞実験に例えて解説してみよう。きっとわかるはずだ。

自然科学も歴史研究も同じ科学。論文の盗用、コピペは一発退場

私が従事してきた電気・電子工学やSTAP細胞の生物学は自然科学と呼ばれる。一般的にサイエンス(science)と呼ばれるのはこちらであり、科学と言えば自然科学を指す場合も多い。

自然科学は実験による再現性を持って、誰にでもその正しさが分かりやすいのが特徴だ。STAP細胞は小保方女史による再現実験の失敗でトドメを刺されたと覚えている人も多いだろう。

それに対して歴史研究(歴史学)は人文科学と呼ばれ、実験による客観的な再現性が出来ない。そのため結論は資料・統計データという「証拠」から類推する手法がメインになる。

確かに実験できないという違いは大きい。だが、実は違いはこれだけである。

自然科学も歴史研究も、

①仮説を立てる

②仮説を証明するデータを揃える(自然科学は実験で、歴史研究は資料集めで)

③結論を導き出し、論文で発表する

④他の研究者によって結論が正しいと認定を受ける

というプロセスを経て結論が決まるのは全く同じだ。だからNG項目も同じである。

・根拠の無い仮説 → 全然OK。いつどこでどんな内容を誰に発表してもOK

・証拠(実験データ or 資料)の無い論文 → 絶対NG。発表で袋叩き似合うか、学会誌に門前払い

・証拠(実験データ or 資料)の捏造 → 一発退場。修士号・博士号は取消はもちろん、学会からも追放

ここで小保方女史のSTAP細胞論文を思い出して欲しい。あの論文は実験データの捏造、資料の改竄、コピペのオンパレードであった。だから皆が一発退場を命じたのである。

もちろんSTAP細胞仮説を主張するのは小保方女史の言論の自由だ。いつでも幾らでもお好きなだけどうぞ。ただし、その仮説を認めて欲しいならば一から(博士課程から)出直して来いと言う話だ。

例えるならば、ウサイン・ボルトが2020東京オリンピックの100メートル決勝で前人未到の8秒台を叩き出したが、その後の検査でめちゃめちゃドーピング違反が見つかったようなものだ。その時にウサイン・ボルトが

「俺はドーピングしなくても8秒台で走れるんだ。信じてくれ。今すぐもう一度走らせてくれ」

と言われても誰も相手にしないでしょ。「処罰を受けて一から出直して来い」以上の言葉が無いでしょ。

一発退場となったSTAP細胞論文に再現実験は不要だった

この「ドーピングしたけど実は新記録を出せるんだ」と同じ妄言だったのが「STAP細胞は、ありまぁす」である。

STAP細胞論文の捏造が明らかになった時点で、良識ある科学者(一応僕も)は

「再現実験など無意味。早急に小保方氏の処分を」

「仮に再現実験に成功してもSTAP細胞が存在しない事には変わりない」

と主張していた。しかしあまり一般の方の理解を得られていなかったように思う。

「STAP細胞が無いと決まった訳じゃ無い。再現実験で成功すればそれで良いじゃ無いか」

「よってたかって男社会が若い女の子をいじめている。オボちゃん、再現実験を成功させて見返して」

なんて声が溢れていたのを思い出す。

ここで大事なのは「再現実験の結果は関係無い」事である。仮に再現実験で完璧なSTAP細胞が出来ても全く関係無いのだ。もしそうなってもSTAP細胞論文は取消、小保方女史は博士号剥奪、学会追放なのである。

それはまさにドーピングした選手が2~3日待って薬を抜いた後に、オリンピック競技場に乗り込んで本当に新記録を出したとしても金メダルを与える訳が無い、処罰が撤回されないのと同じである。

小保方女史の再現実験も同じで、まずは永久追放レベルの反則を犯したんだからまず処分である。再現実験を許可した理研もどうかしてた。仮に成功しても当然、科学的なお墨付きを何ら与えられない。だからやるだけ無駄なのだ。

ドーピングした選手もそうだけど、誰も「お前に新記録は絶対に出せない」「STAP細胞が絶対に無い」なんて言ってない。証明責任が小保方女史にあり、小保方女史はまず処罰を受けなければいけない。その世界の秩序と発展を守るための普遍的なルールである。

「いや、STAP細胞は世界を揺るがす発見の可能性が有る。そんな小さなことを言ってたらダメだ。モタモタしてたらまた外国に獲られてしまう。国益の問題だ」

なんて意見も有ったけど、STAP細胞みたいな「ポテンシャルが大きい仮説」なんて多過ぎて数えきれない。しっかりルールを守って順番待ちしている他の研究者に場を与える方が国益に叶うよね。

そしてこれはまあ常識的な話なんだけど、本当に新記録を出せる実力がある選手がドーピングに頼ったりなんかはしない。STAP細胞論文も同じで、本当に世界的な発見ならデータの捏造なんて不要である。なので再現実験は不要というのには、当然に「どうせ失敗するに決まってる」も含まれている。

それを前に出さなかったのは「成功したらどうする」という不毛な神学論争を避けるためだ。

で、やっぱ失敗したでしょ。

「日本国紀」は資料の捏造・コピペが発覚して学問の世界から一発退場

そして、STAP細胞論文と全く同じ構図なのが「日本国紀」に対する批判なのである。

日本国紀は歴史小説では無く「日本通史の決定版」と銘打っており、おまけに百田氏は「なぜなら『日本国紀』に書かれていることはすべて事実だからだ」とまで言っている。

はっきりと「歴史研究」の分野に足を踏み入れた訳だ。だったら日本国紀は数々の資料の無断盗用、捏造が明らかになっているので、一発退場で終了である。

しかし著者の百田氏を始め、日本国紀を擁護する自称歴史研究者たちは「日本国紀に書かれている事は正しい」と小保方状態(STAP細胞はありまぁす)になってしまった。

そして多くの人はこの事実を理解できず、日本国紀は大ベストセラーになった。「オボちゃんが有るって言うんならSTAP細胞はあるんだ」とでもなってしまったかのような状況だ。

これは放置しておけないと、「そもそもやる必要が無い」とわかっていながら歴史研究者が日本国紀の再現実験に乗り出したのである。

歴史資料に基づき、日本国紀の記載に真実性が有るか再現実験をして検証していった。はっきり言って学問的には全く無駄である。もちろん給料は出ないから1円の得にもならない。それどころか信者にめっちゃ攻撃されるリスクだけである。

でもしかし、学問はその知識を広く国民に教え伝え、世の中を良くしていくという目的がある。そのレゾンデートルが歴史研究者を突き動かしたのだろう。

こうして日本国紀の再現実験は勇敢な歴史研究者たちによって行われ、日本国紀の間違いが次々に明らかになっていった。これで学問の世界のルールとして、日本国紀は歴史研究ではなく歴史小説と認定されたのだ。だが誰も価値が無いなんて言っていない。大ベストセラーの歴史小説、十分だと思うけど。

このように、「証拠に基づき客観的な真実を認定する」の本物の歴史研究である。自称歴史研究は証拠が存在しない、ただの著者の空想である。つまりその正体は歴史小説である。

実験が存在しない歴史研究では本物の研究と偽物の歴史小説の区別が難しいけど、全てが小保方女史の空想というあの完璧に偽物の研究だったSTAP細胞と比較したら理解しやすい。

繰り返すが、この呉座さん達の再現実験はそもそもする必要が無かったのである。そしてやったところで必ず「日本国紀は間違い」という結果が出るのも分かっていた。そしてその通りになった。ただただ歴史研究者の貴重な時間を無駄にしただけである。

まさに小保方女史のSTAP細胞再現実験と同じである。あの再現実験が終わった時の理研関係者の徒労の表情は忘れられない。

歴史研究者を自称する歴史小説家たちと本物の歴史研究家、どっちもお互いを批判してるだけに見えてどっちが正しいかわからないと言う人。さらに簡単にまとめると、お互いが言っている事を理解する必要すら無い。

「コピペ」「捏造」をやった方が一発退場でアウト。それだけ理解していれば十分である。だから日本国紀はアウトなのである。

「いや、日本国紀にコピペや捏造が混じっていたとしても関係無い。真実が含まれている可能性はゼロじゃない」

ここまで読んでそう思ったあなた。できればもう一度読み直して欲しい。それでも考えは変わらないって人。いやどうしたらええねん?

参照:科学 – Wikipedia日本国紀「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史日本国紀 – Wikipedia



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-歴史

author : 宮寺達也



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