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追悼 中沖豊氏。わが青春の富山県知事よ

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出典:北陸新幹線:JR東日本

(※この記事は2018年6月25日に書くつもりでURL採番だけしたのを、2019年6月24日にようやく書き上げたものです)

僕が応援しないと決めた時に限って、日本代表って調子いいんだよなあ。。。

そんな事を思いつつ、日々ロシアW杯の熱戦に夢中になっていた6月25日、あまり目立ったニュースでは無かったけどそれは確実に僕の目に飛び込んで来た。

元県知事の中沖豊氏死去 「ミスター新幹線」90歳

中沖豊さんが亡くなられたのか。随分前に知事を引退されたのは何となく覚えていたけど、もう90歳になられていたとは。ご本人の心中までは計り知れないが、悲願だった北陸新幹線の開通を見る事も出来たのだし、大往生と言って良いのでは。

中沖さん、お疲れ様でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

そんな僕と中沖さんの関係だが、もちろん向こうは知らないが僕は良く知っている。そして「同期」と言っても良い関係なのだ。

僕は1980年11月15日生まれなのだが、中沖さんが初めて富山県知事に就任されたのが1980年11月11日。

そう、僕は中沖さんが知事に就任された4日後に生まれたのだ。それから大阪大学に入学する1999年4月まで、富山県で過ごした青春の日々は全て中沖県知事の時代であった。そんな中沖チルドレンとも呼べる僕が身を持って体験した中沖県政を振り返りたい。

ジャパンエキスポ富山、2000年とやま国体、古き良き地方振興策と共に育つ

中沖さんの富山県政は簡単に言えば、古き良き地方振興策である。今でいう所のハコモノ行政って奴だ。

今ではすっかり、ハコモノ行政と言う言葉は公共施設の「建設」に重点を置く国や地方自治体の政策を揶揄する表現になってしまっている。だが当時はバブル全盛時代であり、別に違和感は無かった。その頃の僕が子どもだったという事もあるが、その是非は語るつもりは無い。

ただ、当時の僕たちは中沖さんの進める地方振興策を大いに楽しみながら、そして時にはちょっと迷惑を感じながら生きていた。

特に思い出すのが、ジャパンエキスポ富山、2000年とやま国体、そして北陸新幹線である。

その中でもジャパンエキスポ富山(JET’92)は最高の思い出だ。ジャパンエキスポ富山とは1992年7月から太閤山ランドで開催された地方博覧会である。ジャパンエキスポという万博みたいな催しを1年ごとに各県で開催していくのだが、その記念すべき第1回が富山県で行われたのだ。

遊園地と言えばミラージュランドが精いっぱいの僕たちにとってエキスポ(当時、そう呼んでいた)はまるでディズニーランドが富山県に来たような興奮であった。

あの時の僕は11歳、小学校6年生の夏であった。小学校最後の夏に初めてのエキスポがやって来る、そんな興奮もあいまって僕はエキスポに大夢中だった。家族でエキスポに行き、小学校の遠足でまたエキスポに行き、まだまだ行きたいと両親にせがみ、5~6回は行ったはずだ。

そして、いきいき広場のジェットコースター、ふるさとパレス、JETタワーと飽きる事無く行きまくり。笑点やクイズ・フォーカスインの公開収録を見物。生の円楽師匠(5代目の方ね)、数家アナウンサーに大興奮。

夏なので喉がすぐ乾く。そしたら当時流行のダイエットコークを飲むんだ。

そんな少年時代の思い出があのエキスポに詰まっている。

もっとも各県で開催との野望はバブル崩壊と共に早々に潰えて、あの後ジャパンエキスポは12回で終わってしまったそうだが。

そしてまだ先の話だったが、2000年とやま国体、北陸新幹線も中沖さんは強力に推進していた。

当時の僕らは「ノストラダムスの予言で1999年で世界は滅ぶのに、2000年国体なんて無駄だよな」と話していたが、準備は着々と進んでいた。

あの当時は国体のためとは知らなかったが、新しいスポーツ施設がどんどん作られていった。また1994年に富山インターハイが開かれるので、「国体のためだけじゃない。だからずっと使えるものをどんどん作ろう」と凄い勢いだった。これも今思えば、上手い事調整したんだろうな。

しかしそのおかげで高校に入ってからソフトテニスの大会で何度も訪れる高岡スポーツコア、先輩の北信越インドア大会を観戦した黒部市総合体育センターなどなど、どんどん施設が新しくなっていった。

その余波はすさまじく、「富山インターハイの女子バレーの練習会場になるから」という理由で桜井中学校の体育館まで改修する事になった。そのせいで1年生の冬の体育は宮野山の体育館までバス移動だったのが超めんどうだったけど。

そして改修された体育館は、きったない屋根がキレイに取り外されたんだけど、その奥に有ったきったない鉄骨が剥き出しになった。今思い出しても、あれの何が改修だったのかわからない。

とまあ、ちょっとした迷惑も被りつつ、僕らは中沖県政を楽しんでいた。古いハコモノ行政かもしれないが、未来の富山県に希望を感じる事の出来た時代であった。

念願の北陸新幹線が2015年に開通。生きていらっしゃる間に間に合って良かった

そんな古き良き地方振興策を進めていた中沖さんが最も執念を燃やしていたのが「フル規格の北陸新幹線」の開通である。

北陸新幹線は1972年に計画が決まった由緒正しき「整備新幹線」の5路線の1つである。東京から長野・新潟を経由して富山・金沢に繋がるフル規格の新幹線だ。北アルプスに阻まれてどうにも移動に時間が掛かる北陸と東京を2時間30分で結ぶ、まさに夢の超特急である。これが出来ればもう裏日本なんて呼ばせねーよ。

だが、実は必死だったのは富山と石川の2県だけである。

新潟は田中角栄のおかげで早々に上越新幹線が開通しているし、長野までは1997年にあっさり開通してしまった。個人的には長野はちょっと裏切り者だ。20年近くもの間、北陸新幹線を長野新幹線と名乗りやがって。

そして北陸新幹線と言いながら金沢-福井間は開通の見通しが立っておらず、福井は蚊帳の外。福井は「オレ達はサンダーバードと新快速で十分」ってノリだった(個人の感想です)。

しかし富山にとっては生命線とも言える路線だ。富山から東京に出るには余りにも不便過ぎた。東京に出るには越後湯沢まで特急で行き、上越新幹線に乗り換える必要が有る。4時間も掛かるし、雪で特急が遅れて乗り継ぎに失敗したら目も当てられない。不便、圧倒的不便。

北陸新幹線の開通は富山発展の切り札になる。中沖さんはそのために執念を燃やし続けていた。開通するまで北陸新幹線なんて聞いた事も無い人の方が多いだろうけど、富山県の新聞やニュースでは、「北陸新幹線」の名前が出ない日は無かった。子ども心に「ずっと未来の話でしょ」と思いながらも、魂に刻み込まれていた。

そんな北陸新幹線だがバブル崩壊の不景気を受けて整備費用が削減され、フル規格がピンチになっていた。実際、長野-金沢間がスーパー特急方式(東北新幹線のように、普通の線路を走る新幹線)で着工されてしまった。

中沖さんはそれに猛反発し、政府やJRと交渉し、フル規格の復活を実現させた。これはマジで中沖さんじゃ無ければヤバかった。そのままスーパー特急方式になっていたかもしれない。

だからみんなから敬意を込めて「ミスター新幹線」と呼ばれるのだ。

そして2015年3月14日、ついにフル規格の北陸新幹線・E7系が営業運転を開始した。はくたかが初めて富山県の駅である「黒部宇奈月温泉駅」に到着したときは満員の観衆だったらしい。

中沖さんがご存命の内にこの感動の瞬間が間に合って良かった。心からそう思う。

ちなみに2016年の正月にもう完全に半沢直樹な「北陸新幹線を作った男達」って再現ドラマが富山テレビで放送されてたんだけど、あの微妙に半沢直樹(堺雅人)に似ている中沖さんを演じた役者、誰だったんだろう。

「フル規格を止めるなんて絶対に許さない。やられたらやり返す。」とかドラマの中の中沖さんが喋ってたけど、是非とも本人の感想が聞きたかったな。

北陸新幹線は本当に便利。その遺産と共に私たちが新しい富山を

しかし、北陸新幹線は本当に便利である。

自分で言うのもなんだが、東京までの移動時間が1時間ちょっと速くなるだけだと思ってた。それも年に数回利用する程度である。まあ誤差みたいなものだと思っていた。

でもこれが全然違う。

まずキャパが違う。これが圧倒的に素晴らしい。従来の在来線特急「はくたか」は9両編成で定員はたったの536人である。自由席は3両しかないので、年末年始の帰省ラッシュでは座るなんて夢の夢。山の手線の満員電車並みに圧迫される。しかも指定席車両も使って押し込めるので、指定席の人もトイレにも立てない有様だ。

しかし北陸新幹線は「はくたか」も「かがやき」もフル規格のE7系の12両編成なので、定員はなんと934人と倍近い。しかも往復数も在来線特急「はくたか」の13往復から25往復に倍増。輸送力で4倍近くになっているので、年末年始の帰省ラッシュもまあまあ余裕が有る。本当に楽。

そして乗り換えが無い。これが素晴らしい。今までは東京を出てから2時間弱で乗り換えだったので、寝過ごしたら大変と気を張っていたが今はのんびり眠っていられる。気分が全然違う。

さらに東京まで1時間早い。これが想像以上に素晴らしかった。最初は「東京までの移動時間が1時間短くなるだけ」と思っていたが、違った。この時短の最大の効果は「終電」に現れるのだ。

在来線特急「はくたか」と上越新幹線を乗り継いで富山から東京に帰っていた時は、終電は黒部駅17時30分発。しかし大雪で乗り継ぎに失敗する恐れが有るのでそれを考慮すると、16時30分が終電であった。そのため実家に帰省していて東京に帰る日は、昼飯を食べたら帰るって感覚だった。うっかり寝坊しようものなら、起きてすぐさよならである。

しかし北陸新幹線の終電は違う。なんと「黒部宇奈月温泉駅 20時54分発」である。

これはもう全然違う。帰省の最後の1日に家族と一緒に夕ご飯を食べて、バラエティを観ながら談笑して、おやつとお茶を食べてから「そろそろ寝るか」という時刻に家を出ても東京に帰れるのだ。なんというか、「1泊得したような」気分なのである。

(※実際、2019年正月の帰省もVS嵐のババ嵐をお母さんと一緒に見てからでも十分に間に合った)

これは富山に帰省する関東勢にとっては実質的に休暇が1日増えたようなものだ。まさに働き方改革である。古き良きやり方でも、ゆとりを生む働き方改革って出来るんだな。

この北陸新幹線のおかげで、もう富山には帰る事は無いだろうと決意して上京していったけど「まあまあ気軽に帰れるから、もっと帰っても良いかな」と思いだすようになった僕である。そしてそんな連中が山のようにいるはずだ。

中沖さんの遺産をフル活用して、今度は中沖さんとは違う新しい手法で富山を発展させていく。それこそが僕ら中沖チルドレンの使命だと思うんだ。

参照:元県知事の中沖豊氏死去 「ミスター新幹線」90歳中沖さんの功績しのぶ 富山で県民お別れの会中沖豊 – Wikipedia北陸新幹線:JR東日本北陸新幹線 – Wikipedia富山県知事一覧 – Wikipedia空席は想定内で乗客3倍 北陸新幹線



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author : 宮寺達也



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